自分でも何言ってるの分かんないけど、分かる。

人は色々な姿のアイデンティティを持っています。それは、学校だと生徒の私、家だと息子の俺、ネットだと元気な僕とか様々です。自分のアイデンティティの全部を他者に理解してもらうのは不可能です。だって、学校の先生が、生徒個人の家庭内のこととか、ツイッターのアカウント数とか、インスタの投稿内容とか把握しきれないでしょ。でも、そのどれか一つでも自分のアイデンティティを友達に開示しなかったら仲を深められない気持ちになってしまう。私は、開示されなくても仲良くなれると思う子もいるし、そう思わない子もいる。

仲良くなれるって感じるのは、全くの他者と関わりを持つことの解放感を得るためのアカウントがある人。仲良くなれると思えないのは、自分を隠すために知人との出会い方、場所、時期によってアカウントを使い分けてる人。そんなことされたら、私が仲良くなりたいって思ってても、これ以上踏み入ったらダメなんだ、って気持ちをセーブしてしまうからだ。

でも、他者に全てを知られることが怖いのも分かる。否定されそうで怖いからね。でも、それじゃ寂しいみたいなところもある。でも、あー、もう、何なんだよ。訳わかんない。何が言いたいんだろう。

閑話休題、このブログを読んでる、messアカウントを知ってる友達は、肯定感情で私に接してくれるから全部見せても大丈夫って勝手に思ってます。そんな友達が1人でも居れば、それでいいって話ですね。まとまりました。